理系の勉強と仕事術

 最近、勝間和代さんの書いた「効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法」を読んだ。勝間さんの本を買うのはこれが初めてだ。内容に目を通しながら「凄いな、こんなにも"効率化”を意識して、かつ実践している人がいるんだな」と尊敬しつつ、またそのように生きている勝間氏に憧れた。

 この本を一読した後、どこかでこの人の名前を見た気がしたので持っている雑誌を読み返してみると、プレジデントのバックナンバーに幾度も名前が上がっていた。自分が未だに持っているプレジデントは「年収2000万円の勉強法」というテーマで発行されたものである。雑誌を読み返し、いろいろな考えを頭の中で巡らせながらとある考えに行き着いた。

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

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 ドラッカーは著書の中で「これからは知的生産者の時代がくるであろう」と述べている。実際に第一次産業に属している人は少なくなり、コンサルタントなどの知的生産者が増加しているように思う。今がまさに過渡期であるなら、勝間氏が実践している知的生産術が当たり前のスキルとして求められる時代がくる可能性がある。今現在、情報を武器に生活をしている人物は企業において多額の報酬を受け取っているが、近い将来、それが企業に就職する最低限の資質となり、それすらできない人物は駆逐されるのかもしれない。


 自分のまわりにはやはり年の近い現在20歳半ばの人が多い。僕はまだのうのうと学生をやっているが、同い年では就職している人が大多数である。ときどき社会人組と話す機会があるのだが、エクセルで事務をやって給与をもらっているひとがいた。彼曰く、「今の40歳以上の管理職どもはパソコンアレルギーだから、こんな簡単な仕事も出来やしない。それで給料もらえるんだから楽なものだ。」とのことだ。その言葉を聞いたときは社会人って意外と楽なんだろうかとも思ったものだが、ビジネス書に目を通しているとそれほど楽では無いようだ。

 
僕等が管理職を任されるようになったとき、下の世代がどう成長しているのか予想はつかない。しかし「ゆとり世代」と名付け、揶揄しているだけではどうもまずいようだ。意欲のある若者だけでなく、傍目フツーに生活してきた若年層が皆、勝間氏の言うような”知的生産術”を学んでいるという将来がくれば、僕達が40代の人たちに向けているような視線を下の世代から受けることになるのである。


 このエントリを書きながら、勉強は自己防衛の一手法であると言うことを強く意識した。理学部やそれに準ずる理系の学部で勉強といえば専門書を読み、論文を読むことだが、やはりこれから社会に出ていくためにはビジネス書のような畑地外の分野の本も読み進めるべきである。折しもこれから春休み。図書館や本屋に足を運び、ビジネスや社会に関しての本を掘り進んでいこうと思う。